ED75は模型化に恵まれているのか?
実車は比較的マイナーな存在
東北地方を中心に活躍し、普通列車から貨物列車、果てはブルートレインまで小さいボディの割になんでも牽引できるスペックをもっていたのであった。
しかし活躍エリアが限られていたために、西日本地区(ここでは一般的に使われる「西日本」の意)ではまず見かけることができず、メインエリアの東北地方以外ではブルトレ牽引機の中では比較的マイナーな存在にあたる。
実車はマイナーな同車であるが、Nゲージ鉄道模型の世界では早くから様々なメーカーによって模型化がなされてきたのだ。
ED75が模型化される理由
ED75は国鉄の電気機関車の中では標準的なスタイリングを持ち、ブルトレ牽引機の中で比較的手を入れやすかったのではないかと推測ができる。
D級ゆえに車長も短く、中間台車が不要になるためF級と比べてパーツ数を少なくでき、活構造も単純化しやすいことも早期の模型化につながっていると思われる。
とくに70年代はブルトレブームがあったことを考えると、当時は熱狂的な人気があったのかもしれない。
日本初の日本型Nゲージ
日本型Nゲージ(1/150)は1965年に誕生した規格である。一般的には関水金属(KATO)のC50の発売として知られているNゲージ誕生劇だが、実はもう一社Nゲージの展開を目論んでいた”幻のメーカー”があったことをご存知だろうか。
当時のソニーは業務拡大を狙って鉄道模型への参入をすすめた。鉄道模型はコンセントからの電気の力で動く。だから、電機メーカーであるソニーにとってはノウハウが活かせると思ったのだろう。
ちょうど関水がD50の設計をしている頃、ソニーは子会社「ソニーマイクロトレーン」
を立ち上げて開発研究を進めていた。その中で動力車として選ばれたのがED75であったのだ。
完成は関水C50よりも早かった。だから、このED75は記念すべき日本最初の日本型Nゲージとなったのである。
試作品300ほどが関係筋に配られたものの、発売はされなかった。当時ソニーのトップであった井深大氏が「こんなのにSONYロゴは付けられない」と発売を拒んだという。折しも関水のC50が発売され、その完成度の高さを見て断念したとも言われている。
玩具メーカー「トミー」の挑戦
一般人が入手できるED75のNゲージが来るのは70年台に下った後のことだった。
日本でもNゲージが徐々に普及しはじる。それに目を付けたのが玩具メーカーのトミーだ。「トミーナインスケール」はバックマン製品にTOMYロゴを付けただけの製品からスタートしたが、自社開発による日本型車両のひとつとしてED75が選ばれた。
ソニーのED75同様にトイライクな外観で車番も架空のものになっているなど今となっては哀しい再現度であるが、それと引き換えに低コストで発売することができたため、若いNゲージャーに一定の支持を得られたのだそう。
トミーナインスケールは76年にTOMIXに移行するが、ED75もそのまま移行され、数年間生産が続いた。
玩具メーカー「永大」の挑戦
TOMIXが生まれてそれほど経たない1979年、玩具メーカーであった永大がNゲージに参入した。この頃はブルトレブームからのNゲージブームに当たる頃で、エンドウ、学研、しなのマイクロ、グリーンマックス等がNゲージに参入した時期でもある。
その中で永大もED75を発売した。ソニーやトミー香港製と比べればしっかりとしたNゲージ製品だったようだ。
しかし永大は翌年倒産。永大製品は学研に引き継がれることになりED75も学研製品として数年継続した模様である。
KATOの製品化以降
KATOからは永大倒産後の80年台に入ってからようやく製品化された。
TOMIXも80年代後半に1000番台を発売。以降は今に至るまでKATOとTOMIXの2社にマイクロエースを加えた3社での展開という構図を見せてきている。
Nゲージの中では製品化に恵まれた車両のうちの1つとも言えるかもしれない・・・。
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